|
周防(すおう)は日本海軍の戦艦。元はロシア帝国の前弩級戦艦ポベーダ(ロシア語:、ペレスヴェート級)で、日露戦争において日本海軍に鹵獲されたものである。艦名は旧国名「周防国」にちなむ。天皇に奏聞した候補艦名に「伊豫」があった〔明治38年8月10日付 海軍大臣官房発行 官房第3040号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C06091630000 で閲覧可能。〕。''、ペレスヴェート級)で、日露戦争において日本海軍に鹵獲されたものである。艦名は旧国名「周防国」にちなむ。天皇に奏聞した候補艦名に「伊豫」があった〔明治38年8月10日付 海軍大臣官房発行 官房第3040号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C06091630000 で閲覧可能。〕。 == 艦歴 == 1898年8月1日起工。1900年5月24日進水。1902年7月31日就役。 日露戦争でポベーダは旅順沖で被弾、損傷。ついで触雷した。1904年8月10日に黄海海戦に参加、11発の命中弾を受ける。その後旅順で日本陸軍の砲撃を受け、12月7日に着底。 戦後の1905年10月17日に浮揚〔『官報』第6693号、明治38年10月19日。〕。同年10月25日、周防として日本海軍に編入され〔『写真日本海軍全艦艇史』資料篇、2頁。〕、修理の後再就役した。 1912年、一等海防艦になる。第一次世界大戦では青島攻略戦に参加した。この時は第二艦隊加藤定吉中将の旗艦であった。 1922年ワシントン軍縮条約に基づき除籍され、解体が開始されたがその最中に浸水し転覆した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「周防 (戦艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|